クルマ社会で ~ 生活必需品としてのクルマ
約 57年もの間、住んでいた 東京都北区から
とうとう 老後を見据えて、茨城県に引っ越した。
子供のころ、小児喘息で 何度も死にそうな思いをしたこともあり、
なるべく 人ごみに行かない ライフスタイルになっていたので
高校で 当事の 国鉄・赤羽線 (現 JR 埼京線)の朝夕のラッシュアワーの満員電車に乗ったとき
「お勤めはおろか、通学だって、息苦しい、辛い、イヤだ!!」
と 痛感した。
以降、私はすっかり 満員電車で通勤する人生は、どうにもイヤで
回避した。
3代目 江戸っ子なのに、人ごみや、列に並ぶのが 本当に嫌いだ。
まだ 免許もない子供の頃は、友達ともども 鉄チャン(鉄道ファン)だったから、
一緒に 趣味で電車を乗り回していて、そのときに混雑するのは、我慢できた。
が、1人で満員電車に乗る、なんて、考えただけでも 気分が悪くなる。
そんな私が 免許を取って、クルマ、バイクを乗り回すようになったら、
すっかり 田舎暮らしが うらやましくなった。
大学の友人たちが、地方出身で、みんな 原付やクルマで移動するのが、
当たり前の生活をしていて、その 満員電車に乗らない、電車の時刻を気にしない
駐車場に困らない生活が、豊かだと感じたからだ。
東京とか、都会の生活って
電車など、公共交通が多くて便利、地価が高いだけで、
本当の豊かさとは、ほど遠い、というのが 偽らざる私の実感だ。
隣家や 道路との 境界の 5 cm,10 cm をめぐって、トラブルになる。
10坪足らずの狭い土地に つめこむように家を建てて、
境界の塀やら 境界石の位置やらで、もめたので
正直、せせこましい場所で、了見まで狭くなる人間関係にも
嫌気がさしていた。
長年、そんな気持ちもあったので
今回、チャンス到来とばかり、不動産を買い替えて、田舎に引っ越した。
クルマも そのまま使い続けるつもりだったのだが・・・
物件を内見しに行く途中で、31年めを迎える 1992年式 DE51V が エンコしてしまった。
ディーラーは ようやく 乗り換えさせられる・・・
と内心、思っていたようだ。
田舎に引っ越したら、日々の足に クルマは必需品だ。
特に、2台あった バイクも、赤羽にいた間に、
相次いで、手放すことになった。
1985年式、1989年式と、
クルマより さらに古かったので
もはや、パーツの入手ができない、
と、あの 大手バイクチェーンの レッドバロンですら、
修理をあきらめてくれ・・・
くらいの雰囲気だった。
実際、大枚はたいて修理したのに、またもや故障。
昭和時代からの バイク仲間も
みんな 各自の人生の都合もあるし、
私自身も、自分の身の処し方で あわただしかったので
コロナ以前に、一緒にツーリングに行くことも できなくなってしまっていたので
あれほど好きで 手に入れ、乗り回していた バイクだが、
ZN1300A3 (1985年式) の保管場所を 失ったのを機に 手放し、
スクーター CH250 freeway も
走ってて調子よかったのに、突然、出先でエンジン不動になってしまい、
ジャンプスターターを持って乗るようになってしまった。
最終的には、赤羽郵便局に立ち寄った後、急にエンジンがかからなくなり、
家まで押して帰って、1度修理。
5万円強もかけて、ジェネレーター交換までしたのに、
その後、500 km 余しか走らないうちに、
またもや 不動車になってしまった。
すでに 2スト・オフロード車が製造をやめてから、
キック始動のバイクそのものが減っていたので
250 cc スクーターは かなり早いうちから、キックでなく、セル始動になっていた。
ZN1300 すら、Z750 FX のキックをつけたかったくらい、私は キック始動が好きだ。
しかし・・・・数年前あたりから、
原付スクーターあたりで ようやく キックが残る程度まで
キック始動は激減してしまった。
(YAMAHA SR400,500 は 昭和時代からのロングセラー)
バイクもクルマも とうとう「大切に 長く乗る」ことを
もはや メーカーも時代も 許さなくなってきつつあり
さびしいし、残念だし、技術立国終焉を 痛感してしまった。
7月の猛暑の中、クルマを買い替える羽目になってしまったが、
今回もまた マニュアル車にした。
早くもそれが、困ったことになった!
あれほど 「前席も幅狭だから 軽自動車こそ、インパネシフトがいい」
と考えていたのに、
インパネシフトは、操作のたびに、痛みが走るのだ。
ここまで痛いと 「不本意ながら、オートマ車にする必要があるかも」
と思ったくらい。
クルマ社会で 運転するのが辛いと、人生に支障が出る。
次に買い替えるときは、いよいよオートマにするが、
今後の 海外ステイも考慮すると、
今のクルマを安く使い続けるのが 賢いだろう。